いいものはいい

ひたすらに日常

わたしにとってのブログとは?

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

私は自分の書いた文章が結構好きだ。書いたものによるし、過去に書いたもので今見返すとうわあああと恥ずかしくなるものもあるけど、見やすくなるように、面白く思ってもらえるように苦心して書いた文章は、なんだか憎めないし、何度も読み返してしまう。

このお題を読んだ時、自分のブログを書く理由について考えた中で

自分の考えを言語化して頭の中を整理したい

が一番に思い浮かんだけど、それなら、なぜ不特定多数に見られるブログでなければならないのか、の答えになっていない。もちろん、考えを言語化したらスッキリするし、色んな考えでとっちらかった頭の掃除にもなるから、理由のひとつではあるけれど、それだけが「ブログ」というものを書く理由ではない気がする。やはり、ブログは不特定多数に見られてこそなんぼじゃないか。ということは、私は不特定多数に見られたがっている。なぜ?

ここまで考えて、ああそうか、私は不特定多数に見られる前提でしか書けない自分の文章が読みたいんだ、と気づいた。

知ってる人に読まれる前提だと、その人たちによく思われようと変に媚びてしまいそうだし、その人たちにとっての自分のイメージを意識しちゃって、そのイメージを壊さないように、文章を書こうとすると思う。そんな自分が情けなくなって嫌になりそう、ということまで想像できる。

実際、高校生の時、ブログが流行っていたから例に漏れず私も作っていたけど、友人同士で自分たちのブログを共有していたから、思っていた事を率直に書けなかった覚えがある。ありきたりなことを書くか、学校での自分のキャラクターに沿うように書いていた。○○ちゃんと遊びに行ってきた!とか、流行りの映画を見に行った!とか、それはそれで今見返すと懐かしいんだろうけど、友人の目を意識しまくって書いていたから、書いていてつまらなくなってしまった。だから、すぐに辞めてしまった。

だけど、今書いているブログは、知人に紹介もしてなければ個人情報も出していないので知っている人が見ていることはない。バレたらその時はその時だ。

知人に配慮しなくていい、自分のイメージなんて気にしなくていい、自分を全く知らない人にしか出せない自分を、どこかで本当の自分と思っているから、その自分を出したい。そんな自分の書いたことを、わたしが読みたい、保存しておきたい。

人に見られることを意識しないと、ただのメモになってしまい、後で読み返したくならないのも理由だ。人に読まれるということは、読みやすい文章を、読みたくなるように意識して書くから、後で読み返しても圧倒的に読みやすい。毎日遅くまで働いてんなあ、こんなこと考えてたなあ、うわ、こんなところ行ってたわ〜などなど、未来の自分に読ませて懐かしいと思わせたい。その時の思い出にトリップしてほしい。自分の自分による自分のためのブログである。

 

しかし、人から好意的な反応をもらうことは副産物なのに、それはそれで喜んでしまう。読んでくれる人がいること、その事実を確認できることが励みになる。人を楽しませようとか、役に立つことを発信しようなんて大それたことは全く考えてないけど、自分の言葉が誰かの視界に入って、

お、いいな、

と思われたら、やっぱり嬉しい。

これもやはり、不特定多数が見られるブログの醍醐味である。

 

 

 

 

 

私は即座に自分の感情を表すことが結構苦手だ。いつもいつも、過去を振り返ることでしか自分の感情を確認できない。かつて、こう思ってたんだ、と過去形にしないと感情表現も難しい。自分が今どう思ってるのかを、うまく言葉にできないのがまあまあコンプレックスだ。本当はTwitter(Xとは呼べない)のようなSNSでタイムリーにいい感じの言葉を呟きたいとも思うけど(だってそれがSNSの醍醐味じゃないか!)、ある程度過去ログとしてまとめて感情表現することが自分には合っている。つまりブログである。

オードリーのオールナイトニッポンで、若林さんが、こんなことを言っていた。

「一人になって、喫茶店で自分の考えや思ったことを書く時間がないと、コメントを求められた時に適切に言葉にできない。だからこの時間が自分にとってすごく大事。」

うろ覚えだから微妙に違っているかもしれないが、確かこういう内容だったように記憶している。なぜ記憶しているかと言うと、若林さんの書く行為が、私にとってのブログを書く行為と同じだからだ。確かに、少しでも言葉にすることで、ブログに書くことで、自分の拙い言葉がすこーしだけ充実した気がする。言葉にしていないモヤモヤとした考えで溢れていた脳内が、すこーしだけクリアになった気がする。ぼんやりした雲のような考えに輪郭がつく。色付いていく。

うん、こういう時間を大切にすることで、自分の言葉を積み上げて、自分の言葉の世界を築いているんだ、と意識すると、理想ではないかもしれないけど、そう悪くないじゃないか、と思えた。

一週間日記と称して、毎週一週間の日記をブログにアップしているけど、これが自分としては一番ストレスのない感情表現のやり方だ。1日の日記を書いているのは、だいたい翌日の朝の通勤電車の中。アップするのは翌週初め。そんなサイクルが自然とできた。こうすると、思ったことを即座に言葉にできない自分を責めることもないし、思ったことを毎日表現しよう!と意気込んで自分の首を絞めることもない。ブログを書くことで、よしよし、感情表現できている、と自分に言い聞かせることができるし、その時の行動や感情を書くとなんだかスッキリする。ときたま書くお出かけ記録も、書いていて楽しい。

自己肯定感を得るために書いているけれど、言葉を生み出すことで得られる爽快感は癖になる。これもやはり、自分の言葉を出して出して出して、積み重ねていく、ブログの醍醐味である。

 

 

 

以上、わたしがブログを書く理由を、ここ数日ずっと考えていたら、こういう答えになった。

他にも色々理由は考えたけど、全ての理由に一貫しているのは、自分のため、ということである。これは間違いない。

 

書いてみて、自分の中でブログという立ち位置を知ることができた。書いてみると、自分はこんなことを考えているのか、と気付きが生まれてなかなか面白かった。このお題を与えてくれて感謝。

この記事も、将来の自分が、お茶でも飲みながら読んでいるんだろう。その時には、もう少し自分の考えを、自分自身を、言葉にできているんだろうか。